市町村のなかの一部の地域が、旧慣または廃置分合の際の協議に基づいて財産を有し、または公の施設を設けている場合、これに法人格を与えたものをいう。
この財産、公の施設には、林野、原野、溜池が最も多く、そのほかに集会施設などがある。
この制度は、町村合併の際消滅する旧町村が保管してきた財産を、旧慣どおりに維持管理したいという旧町村の強い希望を満たすために、合併推進上の一つの方策として新町村の一部の区域に認めたものである。
明治22年に実施された町村制で出現し、現行【地方自治法】で特別地方公共団体の一種にしている。財産区の運営は、【地方自治法】の定めるところにより、条例で財産区議会等を設けて管理している。
財産区は、公法人なので、営利を目的とした私法人のように取得した収益をその構成員に分与することは出来ない。また、財産区は、市町村の一部に財産を所有している事実によってのみ法人格が与えられているから、財産の全部を処分した場合は消滅するものとされている。そして一旦消滅すると法人格は失い、再び財産区を復活させることは不可能である。
旧三輪村は明治4年7月廃藩置県により、三田県となり、同11月に兵庫県の管轄となった。この時入会地で官有地編入を免れた大道ヶ平は、三輪、高次、桑原、山田ら各村の共有林として維持されることとなった。その後明治22年の町村合併の際、売買により大道ヶ平の多くの原野は三輪村(後の三輪区)に帰属し、公法上の所有権が明確になった。
その土地は、持ち株制度や賃貸・譲渡を経て、特定の人だけが権利を持つ「入会権」が大正2年頃に消滅し、【三輪区有財産】として管理運営を行うようになった。永年にわたり紆余曲折を乗り越えながら維持されてきたこの土地が、昭和の時代になってこのなだらかな地形がゴルフというスポーツに適していると有馬ゴルフクラブ(後の三田ゴルフクラブ)が賃貸契約を申し込んできたのである。近隣地区との話し合いの後、未来を見据えた土地利用と判断してゴルフ場と賃貸契約を締結するに至った。戦後この区有財産は三輪区長を中心に16人の組長によって運営が行われ、管理は三輪町長がする形をとり財産管理を行うも、区有財産では将来の不安があるので、財産区議会を設置して管理していきたいと市の方に条例制定を陳情し、昭和35年11月1日に【地方自治法】第294条の規定により【三輪財産区議会設置条例】が公布された。